海沿いの繋がり
2012年1月26日
思春期(という言葉がまだ時代に適うのかな?)、
由比ガ浜の自宅から材木座の中学に通い、長谷の友達の家で遊んだ。
海岸に沿って、一日が動いていた。
材木座も長谷も、そしてもちろん由比ガ浜も、
日々の暮らしを支える商店街が活気を呈し、
今日のような観光産業はほとんどみかけることのなかった時代。
今縁あってここ長谷で、主に観光客を相手の仕事をしている。
中学校の校門を出るとすぐにトンネルがある。
その外側の山肌に立つと、下に光明寺の大伽藍が迫り、
海岸線を長谷・坂ノ下に沿ってたどると、稲村ガ崎、江ノ島が海に浮かぶ。
その奥には伊豆半島が陽炎のように遠く南に連なり、
中空に幻影のような富士山が泰然とたたずむ。
そんな景色を見ながら育った。
その景色を、日本で一番美しい情景と、今でも信じて疑わない。
優しかった一つ上の先輩は、材木座のしらす漁師として名を馳せ、
鎌倉の名産「しらす」を世に知らしめた。
平素は地元坂ノ下の漁師に求める、しらす。
「すんません。ウチ、近くの喜○丸で仕入れてます」と言うと、
「いいんだよ、漁師はみんな仲間だからよー」と笑顔で返すコーゾーさん。
事情でしらすが手に入らない時、
「先輩、ちょっと面倒見てくださいよ!」と不義理を承知で頼み込むと、
「俺んとこも獲れてないけど、もう一回船出すから、獲れたら連絡すんなぁ」。
昼ごろ「○○クン、獲ったぞー!!」と船上から電話。
『無理して獲ってきてくれたな・・』
年が明け、その人の突然の訃報。
通夜には、斎場に入りきれない弔問客の列が道にあふれる。
その人柄が、絶えることのない人の波を迎えていた。
今冬の海を眺めていると、その人が操る船の航跡が思い出される。
コーゾーさんのことを旧友と語り、酒を交わしていると、
海に沿った繋がりが今を生かしてくれている、そんな思いが深くなる。
海に暮らす人の町でもある、鎌倉。
わかめ漁が最盛期を迎えている。
長谷・坂ノ下と材木座、腰越がそこである。