猫のまなざし -1-
2019年2月27日
長谷と縁の深い芥川賞作家の保坂和志氏。
その保坂氏に寄稿していただいている
長谷の市「かわら版」のコラム「猫のまなざし」を
「はせのわ」のHPでも紹介させていただくことになりました.
猫のまなざし -1-
保坂和志
これから毎回この「長谷の市かわら版」に文章を書くことになりました、保坂和志です。
小説家です、いちおう芥川賞作家でもあります、あんまり知られていませんが。生まれたのは山梨ですが、幼稚園に入る前にここ長谷に引っ越してきました、通ったのは長谷幼稚園です、幼稚園では長谷観音の今は山主のゲンちゃんと同級生でした、幼稚園で「同級」って言うんでしょうか?
鎌倉の人で鎌倉幕府を知らない人はいない。そんなあたり前だけど鎌倉の人にとって「幕府」と言ったら江戸幕府でも室町幕府でもない鎌倉幕府だ、全員がそう思っている。地域の特性というか偏りはホントに面白いものだと思う。鎌倉の人は「武士」と聞いたら源頼朝を連想する。つまり鎌倉の人にとって武士といったら鎌倉武士だ。江戸時代の旗本や戦国武将は連想しない。武士といったら源氏の武士、そんなことあたり前だと私は思っていたが、よその人に言ったらものすごくびっくりされた。全国的には「武士」と聞いて鎌倉武士を思い浮かべることはないらしい。
ついでに言えば、鎌倉の人は源頼朝のことを嫌いじゃない。何しろ実家の隣の人は猫にヨリトモと名づけたくらいだ。しかし全国的には弟の義経を殺害した冷酷な男というイメージで、頼朝は義経と比較されてとかく評判が悪い。もちろん鎌倉の人で平氏に肩入れする人なんか一人もいない(たぶん)。でも源氏の比較でも一族が滅亡したという判官びいきで(あ、判官とは義経のことだ)平氏の方がきっと思いれのある人が多い。
と、ここまで書いてきてハタと気がついた、<鎌倉武士>というイメージを持ってくれている観光客がそもそも少数派なんじゃないか?鎌倉は寺社の町か、湘南の一角の海の町というイメージが圧倒的なんじゃないか?
しかし鎌倉駅周辺の街灯をみてください。街灯には旗みたいなのが懸っていて、紺地に白で鎌倉幕府に関連した武士の名前が染め抜かれています。「下馬四つ角」という停留所は「しもうま」ではなく「げば」と読み、幕府に参上するのに武士はそこで馬から降りたという地名の名残り(?)です。それから長谷に家があったノーベル賞作家の川端康成は晩年、鎧武者の幽霊に悩まされたという噂が地元ではあります。これも当然、鎌倉武士で戦国武将ではありません
<プロフィール>
保坂和志(ほさかかずし)
小説家。1956年山梨県生まれ。幼少時。鎌倉長谷に転居。
長谷幼稚園。第一小学校。栄光学園中学・高校、早稲田大学卒。
90年「プレーソング」で小説家デビュー。
95年「この人の閾(いき)」で芥川賞、
97年「季節の記憶」で谷崎潤一郎賞・平林たい子文学賞、
2013年「未明の闘争」で野間文芸賞を受賞。猫好きとして知られる。
2018年「こことよそ」で川端康成賞を受賞