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長谷 文学散歩 句碑・歌碑編

2014年10月22日

鎌倉は多くの文学者に愛され、住んだり、長期逗留したりした。

長谷も人気のある地域だった。今回は、長谷に残る句碑・歌碑を中心に文学の足取りを

追ってみよう。

 

  • まずは最も古いところから、甘縄神明宮にある万葉集の歌碑(石碑)。

「鎌倉の見越しの崎の岩崩(いわくえ)の 君が悔ゆべき心は持たじ」

これは万葉集の第14巻3365首目にある相聞歌(そうもんか/恋の歌)です。

意味は「鎌倉の見越しの崎(御輿ヶ嶽/見越ヶ岳/社殿のウラ山)の岩が崩れるような

あなたが悔やむような不実な心を私は持ちませんわ。」というもの。

甘縄神明宮は鎌倉最古の神社で710年の創建だから、万葉の時代にはこの神社の名声は

すでに確立されていたようです。

 

  • つぎは高徳院(鎌倉大仏)。ここには4つの歌碑・句碑があります。

・まずは最も有名な与謝野晶子の歌碑

「かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな」(夏)

・つぎは金子薫園の歌碑

「寺々の鐘のさやけく鳴りひびき かまくら山に秋風のみつ」(秋)

・そして星野立子の句碑

「大佛の冬日は山に移りけり」(冬)

・さらに飯室謙斉の句碑

「春の雨 かまくらの名も和らぎて」(春)

ごらんのように、4つは四季(春夏秋冬)に対応しております。

実はもうひとつ、高徳院の裏には小さな墓地があるのですが、そこに吉屋信子の

「秋燈火 机の上の幾山河」という知る人ぞ知る句碑があります。

 

  • 長谷寺には2つの句碑があります。

・まずは高浜虚子の句碑

「永き日の われらが為の観世音」

・そして大野万木(おおのばんぼく)の句碑

「観音の慈顔尊し 春の雨」

大野伴睦(俳号:大野万木)は戦後活躍した政治家です。

おまけですが、高山樗牛の居住記念碑と久米正雄の胸像もありますよ。

 

  • 光則寺には、宮沢賢治のあの有名な詩の碑があります。

そうです、「雨ニモマケズ・・・・ソウイフ人ニワタシハナリタイ」の詩が賢治の筆跡

で本堂横に石碑が鎮座まします。

これは先代の住職が宮沢賢治の大ファンだったため、設置したとのこと。賢治も法華経

の信者でした。光則寺は日蓮宗だから、むべなるかなというところです。

 

そのほか、もちろん鎌倉文学館、吉屋信子記念館があります。

この秋、長谷の文学散歩もなかなかオツなものかも知れませんよ。

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