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文学から見た長谷 その1

2018年1月12日

萩原朔太郎、大正5年の避寒

 

「避寒」という言葉。今はほとんど耳にすることはない。ビル群などの都市活動から発せられる熱のせいで、東京都内を寒さの厳しいところと感じている人は少ないのだろうが、高層ビルが建ち並ぶ前の東京の冬は厳しく、鎌倉など温暖な町で冬を過ごす「避寒」という生活スタイルがあった。

今から102年前の大正5年12月、詩人の萩原朔太郎は郷里 前橋の寒さを避け病気療養のため坂ノ下の旅館 海月楼に滞在した。滞在のもう一つの目的は第一詩集『月に吠える』の編集を行うことだった。30歳の朔太郎は、この詩集で口語自由詩に先駆者として一躍名をあげ、文学史にその名を刻むことになるが、本人はまだ知る由もない。朔太郎は、翌年の2月まで滞在。詩人の日夏耿之介と交友するなどし、健康を回復させ前橋に帰っていった。

由比ヶ浜の海を眺めながら朔太郎は何を思ったのだろう。この時と確定はできないが、朔太郎は滞在中、雑誌に詩を何篇か発表している。その中の1篇をひいてみよう。

 

「冬の海の光を感ず」

 

遠くに冬の海の光をかんずる日だ

さびしい大浪(おほなみ)の音(おと)をきいてこころはなみだぐむ。

けふ沖の鳴戸を過ぎてゆき舟の乗手はたれなるか

その乗手等の黒き腕(かなひ)に浪の乗りてかたむく

 

ひとり凍れる浪のしぶきを眺め

海岸の砂地に生える松の木の梢を眺め

ここの日向に這ひ出づる蟲けらどもの感情でさへ

あはれを求めて砂山の影に這ひ登るやうな寂しい日だ

遠くに冬の海の光をかんずる日だ

ああわたしの憂愁のたえざる日だ

かうかうと鳴るあの大きな浪の音をきけ

あの大きな浪のながれにむかつて

孤独のなつかしい純銀の鈴をふり鳴らせよ

わたしの傷める肉と心。

 

冬の由比ヶ浜の海は、朔太郎が詩に書いたように、低い太陽が、海を神秘的に輝かせることが多い。慌ただしい街を抜けだし、冬の由比ヶ浜の光る海とよせる波の光景に心を落ち着かせることは、現代の避寒といえるかもしれない。(鎌倉文学館 小田島一弘)

 

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海月楼の絵はがき 個人蔵

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坂ノ下附近の海